2021.10.01

1973年9月21日
吉田美奈子20歳の時、1st.ALBUM「扉の冬」がリリースされた。レコードデビューから2021年で48年、お客様の前で歌ったのが16歳からだから52年、長い様でとっても短く感じる。足跡を残そうとは思っていないが、粛々と道を外れずに音楽に携わることが出来ているのだろうか…と、時々深く思う。でも、確かに言えるのは、今が一番幸せ!と言う事だ。遠い未来は解らないけど、たった今、そして少しだけ先の日々を大事に生きよう。そして大切に歌おう!

tobiranofuyu.jpg

https://diskunion.net/

 


2013.11.27


逆上がり


先日 USENの番組収録で
岩崎宏美さんにゲストとしてお運び頂いた際
逆上がりがどうしても出来ない と云う話になった

そう云えば小さな頃に得意だった事は
果たしてまだ幾つ出来るのか?と

思い立ち先日 近所の鉄棒のある公園に
暗くなってからそっと行って試してみた

な、何と! 全く出来なくなっていて驚愕! トホホ…

腕立て伏せは左腕の骨折から支え立ちも
疾うに出来なくなってしまったが
まさか逆上がり迄も出来なくなるとは…

ただ いい訳を言わせて頂ければ
鉄棒の高さが顎の高さと臍の高さの二種類しか無く
これでは何とも勘も戻せないと

いつか都合の良い高さの鉄棒を見つけ
猛特訓で宏美さんにお見せしたい!

兎に角 どちらが早く出来るか競争だね?!

 


2013.11.06


取り留めが無いけど「優に過ぎると云うこと」

そのサイトにお名前の記載があるので書かせて頂くが
富山県にお住まいのスダアキヒコさんとおっしゃる方が
「MINAKO MANIA」と云う 私の過去行って来た仕事に付き
詳しい情報を掲載したサイトを今も立ち上げてくださっている

オフィシャルサイト「BELLS」の完成に依り
一時期は閉鎖して欲しいとの希望もあったのだが
今となっては光栄の極みと感じ 感謝の気持ちでいっぱいだ

人前でライブ活動を始めた頃から数えると
もう45年近くにもなるキャリアになってしまった私は
故に 若年の頃の音楽人生の記憶は忘却の彼方に消えている訳で
そんな時にこそ このサイトが記憶の糸を手繰り寄せる作業を
何時何時も助けてくださっている

60歳になって暦が一巡りし戻ったとしても
何かの区切りに若い頃の様な
改めて気合いを入れ直すことはもう無いが 思えば
そのサイトに記載してくださっているすべてが
折り返し地点を過ぎた私の人生の記録であることは
プライベート以外の 多分確かな物語と言えるのだろう

先日USENの番組収録で細野晴臣さんとお会いしたが
自らが時代や歴史を創造し その精鋭として後世に残る方は
その足跡を 整理整頓はご本人がしている訳ではないにしても(笑)
非常に詳しく細かく整然と残していて その有り様も美しく
ましてやご本人に至っては神々しい領域にすら達していると感じる

今 時間を振り返る私は未だ発展途上に居て
語る能力も極める才能も無いのだから
形として足跡の残らない音楽の「歌」との関わり方を探しながら
粛々とこれからを生きて行けたらと思った

で 何が伝えたいのかと言うと「ありがとう」の言葉なのです





2013.09.26


酒井雄哉大阿闍梨様

たった一度だけ
お目に掛かれた際に腫らしていらした頬が
ずうっと気になって居りました

法話の時 お医者に行ったらきっと
すぐに帰してもらえないと思うので
私は病院には行かないと
駄駄を捏ねる様に仰っていましたね

その無垢な愛らしい笑顔が
本当に仏様のそれになってしまわれた

今じっと天上を見詰めています

合掌



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